本能寺の変とは

こんにちは

おおきまちの司法書士です。


今回は久々におすすめの本の紹介です。

先日、軍師官兵衛でも本能寺の変が起こっていましたが、

本能寺の変を起こした明智光秀の動機と言うものは

諸説ありますが結局は不明です。


まずは明智光秀について、表面的でなくしっかり掘り下げてある

作品を読んでみると面白いかもしれません。




司馬遼太郎の国盗り物語は、前半は斉藤道三編、後半を織田信長編としていますが、

影の主人公は明智光秀となっている作品です。


光秀については、学校の教科書的には本能寺の変を起こした謀反人と

してしか記載されていませんが、旧領があった地元の丹波地方では

謀反人ではなくて、名君として捉えられています。

歴史は勝者が作りますので、敗者については歴史上の判断は厳しくなりがちです。


斉藤道三はもとは京都の油問屋の旦那が美濃(現在の岐阜県)に出張し、

大名の家来として働くと言う二重生活をしていた変わった人物ですが、

その人物がいつのまにか主家を追い落とし自身が大名になります。

斉藤道三は、蝮(まむし)と言われていたようですが、それだけ

獰猛かつ狡猾だったと言う事でしょうか。


織田信長については有名すぎて説明するまでもないですが、信長の

奥さんである濃姫は、斉藤道三の娘です。

戦国時代は政略結婚は普通でしたので、隣りのライバル国同士で

血縁関係にあると言うのも珍しくないですが、織田家と斉藤家は

親戚でした。

明智家は、美濃の旧主土岐家に仕えた名門ですが、光秀と濃姫は

従兄弟同士だと言う話もありますが、これについては諸説あります。


光秀は、織田家が桶狭間の合戦に勝利する前から仕官していたかと言うと、

他の重臣たちよりはだいぶ遅れて織田家に仕えます。

ただ、昇進の速度で言うと、秀吉よりも早いくらいです。

織田家に仕えて10数年で、重臣たちの仲間入りをしており、

織田家で最初の城持ち大名になったのは、実は光秀です。


古参重臣の柴田勝家や丹羽長秀よりも、秀吉よりも早く城持ち大名に

なっている、そのことを考えただけでもどれだけ優秀な人材であったかが

うかがえます。

会社で言うと、中途入社で10数年、一気に専務取締役まで上り詰めた、

そんな感じでしょうか。

それだけ重宝されていた光秀ですが、性格的に信長とは馬が合わない

部分もあったようです。


本能寺の変の所説について、いくつか挙げてみます。
1.安土での家康の接待失敗、領地召し上げ宣告と
  山陰地方の切り取り次第

2.日本に古くからある伝統を守るため、その破壊者となっている
  信長に我慢できなくなった

3.外国の陰謀説

4.四国の長曽我部家を助けるため


4については、最近新しい資料が発見されたとしてニュースになっていましたね。

1については、安土城での接待の失敗は有名な話ですが、

あれは史実ではないとも言われています。

国盗り物語では、この話があったかもしれません。

本能寺の変後の動き(基盤固め)がどうもよろしくないのを

見ると、計画的と言うよりは突発的なんではと思ってしまいます。


本能寺の変については、要するに原因は不明と言う事です。

原因は複合的かもしれませんし、もっと別な理由があったのかも

知れませんが、あの出来事が戦国時代の大転換のきっかけになったことは

間違いありません。

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